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大家んち
大家んち


働いているあなたと話してみたい
 随分と放っておいてしまったけれど、4月1日からあたし、働いてます。
 週に4日は埼玉県某市のとある機関で、週に1日はこれまで実習してきた大学院の機関で、両方とも非常勤だけど心理相談員として働かせてもらえてる。働き始めてすぐに、実践的な仕事も次々と与えていただけて、今では毎日のようにケースや会議が入っている。加えて週に1日は、すばらしい研究者の方々が中心となっている研究の実践に参加させていただけていて、月に一度は引き続き民間のカウンセリング機関で実習もさせていただいて、本当に充実した日々。大学で学んだ教育学、特殊教育、虐待、大学院で学んだ臨床心理学、虐待、それらが生かされる職場で、いま存在している仕事の中では、とてもあたしの望む仕事に近いところにいさせてもらえてると感じる。もちろん、まだ新米で、できることは本当に少ないけれど、そういう現場にいられることにありがたさを感じながら、日々学び続けている。
 働き始めて2ヶ月が経とうとしている。一息ついてふと思ったことがあった。あたしは、大学を卒業して1年、ふらふら履修生として勉強しながらモラトリアムをしていた。祖母が倒れて働かなきゃいけなくなった時、それでも働くことに拒否的だったあたしに、その頃の指導教官が言ったんだ、「もう学生と教員じゃなく、働いているあなたと話してみたいの」って。それが、あたしの中の働くモチベーションになった。一度は働いたけれど、それでもどうしても関心の中心である虐待に携わる仕事をしてみたかった。そういう仕事をした上で、もう一度、先生と話してみたかった。今でも、あの先生の言葉は、あたしの働くモチベーションになり続けている。

 仕事をすることに何の利得があるのか、お金以外に何が得られるのか、その疑問に答えてくれたのが、多分その言葉だった。働いたことで、その言葉をもう少し理解できるようになった。働いてみると、当たり前だけど、学生だった頃とは感じることも考えることも微妙に違ってくる。あたしはずっと、働いているというだけで偉そうにしている大人が嫌いだった。働くことで認められる世界、働かないと認められない世界が、その職種、給与、立場で比べられ、競争する世界が大嫌いだった。学生の頃も、高校までの成績で比べられる世界は嫌いだった。大学に入って、ようやく学びというものを知ったのに、また競争の世界に入ってしまうことに、とてもとても大きな嫌悪感を抱いていた。でも、いつからか、偉そうにならなくてもいい、競争しなくてもいい、あたしが望むスタイルで働くこともできると感じられるようになった。あたしが揺らがなければ、あたしがあたしを自覚していれば、あたしはあたしのままで働くこともできるのだと、実感を持って知ることができた。それには、あたし自身が満足するまで学びを追及できたことにあるのかなと思う、そういう意味では、修論は本当にあたしを成長させてくれた。
 もうひとつ、あたしに働くことを拒否させていたことがある。親の期待だった。あたしの自立が完成されてしまうことへの親の寂しさや不満、劣等感を感じ取って、あたしは未熟であり続けなければとどこかで思っていた。かといって、劣等生でいることも許されない、だから、完成間近で頑張り続ける立場、大学生や大学院生に固執した。親から援助を受け続ける状況にい続けた。でも、とうとう親も退職した。親は、自分の欲よりも実際的な経済的不安が募ってきたのだろう。他にも、望む仕事を紹介していただけたことなど、幸運もあった。ようやく、働くということを本当の意味で突破できたと感じている。それでも親は、しがみついてくる。それに巻き込まれずに、眺めていられるようになったことが、あたしにとっては非常に大きい。そうなれるまでに、30歳になってしまっていたけれど。

 働くことを肯定的に見られるようになったからか、30歳という年齢からか、あたしは働き始めた時に、驚くほどに自然体でいられていることに気付いた。分からないことは分からないって言う、やりたいことはやりたいって言う、怒られた時は次から気を付ければいいって思う。背伸びをし過ぎることも、傷付き過ぎることも、認められようとし過ぎることも、随分と減った。毎日忙しいから、無理はできないっていうのもあるけど、熱意を持ちながらも、ある程度の距離を置かないと仕事を適切に続けられない。慌てず焦らず、少しずつ、自分に合ったペースで力を付けていきたい。まだ始まったばっかりだ。これからが勝負だと思う。頑張ろう。


| ユキ | 00:12 | comments (4) | trackback (x) | giornale(日記) |
感謝の気持ちと多くの課題

修士論文を無事に提出した。
多くの方々のご協力・ご支援があったからこその完成。
本当に感謝の気持ちでいっぱいでいる。
でも一方で、私の至らなさに悔しさと申し訳なさもある。
今後の課題がいっぱい見えた論文でもあった。

学術的な論文としての質、そして私がこの論文で伝えたいことの意味、その両者の兼ね合いが本当に苦しかった。
その中で私にできたのは、学術的には稚拙な論文であっても、調査協力者から伝えられること、私が伝えたかったことを丁寧に伝えようと努力することだった。
今回は、学術的に評価され得るものに仕上げることより、協力者の思いやサバイバーへの私の思いを重視したことになる。
もちろん、学術的に伝えたいことを表現することも可能だろうけれど、私にはできなかった。
だから、論文としてはひどく未熟だし、学術的とは言えないかもしれない。
それでも、この研究を通して伝えたかったことは、不十分ではあるけれど表現できたと思う。
その未熟さも含めて、この段階で私にできることの精一杯だったのだろうと納得した。

書いている間、一人一人の調査協力者の顔をずーっと浮かべていた。
彼女たちに教えてもらった多くの学びを、彼女たちのサバイヴが理解されるために、どう表現できるのか。
彼女と同じような方々がより楽にサバイヴするために、今の私に何ができるのか、今の社会に何が必要なのか。
そのことを忘れたことはなかった。
もっと私に力があれば、彼女たちの語りが生かされるだろうという悔しさやもどかしさも、常に抱えながら進んだ。
でも、苦しくもあったのだけれど、インタビューから執筆まで本当に楽しかった。
楽しかったという表現はちょっと違うかもしれない。この研究ができることに喜びを感じていたという方が近いかな。
そしてそう思えたのも、調査協力者の方々と共に歩めたからだと心から思う。
本当に、彼女たちのパワーでこの論文は仕上がった。
私の力は及ばなかったけれど、彼女たちの力がこの論文の底上げをしてくれた。
これからも大事にしていきたい貴重な出会いと体験を与えてもらえた。
ありがたいことだなぁ。

提出後に残ったのは、多くの人への感謝の気持ちで、自身の力不足への悔しさで、終わってしまうことの寂しさで、続けていきたいという不安と希望で、喜びには届かなかった。
でも、この研究を生かすためにも、次の段階に進まなければと自身に言い聞かせてる。
そう思えるのもまた、多くの方々のおかげだ。
感謝の気持ちは、その方々にとってより良い社会になるよう努力することで還元したいから。
今の私じゃ全然無理。生きている間に、返せるといいな。


| ユキ | 22:55 | comments (2) | trackback (x) | giornale(日記) |
逃避行

【パパの沈黙、ママのヒステリー。……認められるために、誉められるために、俺は俺じゃない誰になればいいか、ずっと考えてきた。……愛すること、愛されること、愛されぬこと。……】

新幹線の座席に座り、びびりの私は後ろのおっさんが怖くて椅子を倒すこともできず、身体をずり下ろして、斜めにもたれていた。
いきなり、耳の中に入ってきた、知らない男の話し声にドキリとした。
数秒後、ポータブルプレイヤーから流れてきたものだと気付いた時にも、早まった脈は収まりを見せず、何に焦っているのか小さい機械をいじって、本当にこれから流れているのかと曲名を見た。
最近買い、まだ全部聴いていないアルバムの中に入っていた曲と知り、ようやく安心したところで、もう一度最初から聴きなおした。

窓の外には、マンションがいくつも重なっては流れていく。
ここの全てに人がいるって考えたら気持ち悪くなったと言ってたのは、誰だっけ。誰なのかは忘れてるのに、マンション群を見るたびに、その言葉を思い出す。夜だと更に。
礼儀正しく並んだ窓から、何人かの人が見えた。
パソコンに向かって身を乗り出している青年、部屋から出て行く中年男性の背中、テレビを見ながら笑っている若いカップル、テレビがいくつも並んでるみたいで現実味はなかった。でも、やっぱり気持ち悪くなる気持ちは分かる気がする。
手にしていた文庫本に目を落とす。
先日、出先でずっと映画が観たいと思っていた『空中庭園』の原作を、衝動的に買って読んでいた。
この時期に、なんでこの本を手にしてしまったのか、気が重くなりながらも、それでも目を背けることはしなかった。

もうすぐ、新幹線の留まる駅に着く。
29時間とちょっと前、私はこの駅で、逃亡することを決めた。

インタビューのため、都心から2時間ばかり離れた駅に向かう途中だった。
どうして少し離れただけなのに、時刻表の「上野」という文字は、上京をイメージさせるんだろう。
そう思った時、自分の行き詰った感情に気付き、逃がしてやらなきゃと感じた。
右肩には、ずっしりとバッグが食い込んでいた。その中には、数人の方の人生が込められた、録音機が入っていた。その方たちにも、付き合ってもらおう。一緒に逃げてみよう。少しでいいから、都心から離れよう。そうも思った。
逃げようと思えば、逃げられるんだってことを、休息を与えられるってことを、自分に分からせたかった。何とかなるものだよ、大丈夫だよって。
逃げようと思ったことは何度もあるけど、本当に逃げたのは、多分これが2度目。

私は、逃げるのが嫌いだ。
逃げたって何にもならないと自分に言い聞かせ、その場で何とかしようともがいて、ガチンコでぶつかっていって、状況を悪化させることも度々ある。
ぶつかっていって、苦しいのに止められなくて、どんどん必死になって、余裕を無くして、最終的に自分が壊れて、関係を失ってしまうことも、あった。
だから、自分を守るためにも、大切な関係を守るためにも、逃げるということも、棚上げすることも、覚えなきゃと最近は思う。
今回も、逃げた先は姉の家。
ふらっと、どこかに行くのもいいかと思ったけれど、話を聞いてくれる姉と私を愛してくれる甥たちがいるってことが、私をそこに向かわせたんだと思う。
私が来ることを分かっていたかのように、甥たちは2人立て続けにダウンして保育園は休むことになり、一日一緒に過ごすことができた。
しかも夕方には元気になっていき、元気な姿を見てから帰ることもできた。
駅の階段を上る私の背中に、一番上の子は「またねー!」と何度も車の中から叫んでいた。

二階建ての新幹線、階段の途中まで降りて、小さい窓から外を見る。
ゴールテープみたいに、グレーのホームが滑り込んできた。
私はここから逃げ、ここに帰って来た。
あのホームに一歩踏み出したら、また始めよう。
逃げた始末も含めて、いろいろなアレコレと向き合う覚悟をしよう。
【生きるってのは常に自分の手で 選択をし続ける事……はさむなら口でも何でもご自由に……そんなものに 揺らいだりはしない】
また別の曲が耳の中で、語りかけてくる。
私は生きていく。選択し、その結果を引き受ける。そうして、生きていくと決めたんだ。
揺らいだりは……するけどね。
ギリっと歯が鳴った。力を弛めると、顎がふるふるとして視界がぼやけ、慌ててもう一度ギリっと鳴らす。
小学校の朝会で、校長が「あくびは噛み殺せ、殺していいのはあくびだけだ」なんて、うまいこと思いついたって得意げな顔で言ってたっけ。涙も噛み殺していいのかな。
もう少しであの扉が開く。ちょっとだけ背を丸めて、私はあのホームに足を下ろそう。


| ユキ | 22:33 | comments (2) | trackback (x) | giornale(日記) |
異文化交流
気付いたら、半年くらい放置してしまった。
mixiを始めて、ちょっとした日記はそっちで書いていたり。
コメントやTBで荒れたことで、やる気が殺がれちゃったり。
でも、ここも大事にしていきたいから、時々はちゃんと表現しよう。


 二日間の研修会に参加した。他分野の大学生・大学院生が集まって、虐待について考えようという研修。虐待という共通テーマがあっても、分野が違えば捉え方も思考回路も使う言葉も言葉の意味合いも違う。すんなり伝わらないことばかりが溜まっていき、やきもきし、イライラした。話し合いたいことの、半分も話せなかった気がしてる。そこで知ったのは、自分があまりに自分の常識に生きているということ。自分の尺度で他者に接していたこと。帰って来てから、自分が本当に嫌になった。

 1日目、小児科医の先生が身体的な虐待を受けた子どもたちの画像を見せてくださった。顔や全身のアザ、火傷の跡、内出血で膨らみあがった頭やお尻、性的虐待によって子どものお腹の中にできた胎児。そういう世界を、本では知っていた。医療の現場で、虐待をどう見抜くかの知識も広まっている。けれど、実際に何枚もの画像を見ると、やはり衝撃を受けずにはいられなかった。境界のはっきりした傷は、被害者側が避けようとしなかったことを意味するとおっしゃっていた。人は攻撃を受けそうになると、反射的に身をよじる。それすらしなくなるのが、できなくなるのが、虐待なのだという現実に改めて向き合わされた。もちろん、そういった衝撃的な暴力だけが虐待じゃない。目に見えない影響を与えているアビューズは、もっと身近でもっと日常的にあるのだと思う。そして、そうした身体的虐待を受けた子どもを苦しめるのは、傷の痛みが消えても尚残る、長期的な影響だろう。
 そうした講演を聴いた後、グループに分かれて自己紹介を兼ねた話し合いが行われた。医学・法・福祉・心理・教育など、さまざまな分野の学生さんが集まった。それぞれの分野についての話が出ていたが、私はもっと虐待について話し合いたいという思いに焦りのような思いが募っていた。もっと深く、もっと真剣に、もっともっと……。考えてみれば、初めて会った人が集まり、信頼感のない中で、そうすぐに話し合いが白熱するのは難しいだろう。だけど私は、一人焦っていて、だから言葉も分かりにくく、伝わりにくくなっていただろうと思う。
 その後、懇親会に参加して、岩波新書から『児童虐待』というとてもおもしろい本を出版なさった川崎先生とお話をする機会があった(この本を出版された方だと気付いたのは後になってだけれど)。グループ討論でも、コーディネーターをしてくださった先生だった。その中で、「今日見た画像のような衝撃的なケースに直面すると、親を責めるわけにはいかないから、他分野を批判したくなってしまう。だから連携は難しい。自分の気持ちを意識しなければいけないし、自己開示できることが大事だ」というお話をしてくださった。その言葉をじわじわと考えるにつれ、私のグループ討論の中で感じた焦りやイライラは、衝撃的な虐待を目の前にして沸いた感情からきたのかもしれないと気付いた。そのメンバーさんに対する感情ではなく、虐待への怒りや悲しみや悔しさや傷付きやそうしたいろいろな感情がメンバーさんに向いていただけなのかもしれないと。
 そう気付いたのは、主催者が用意してくださったホテルの12階。大きな窓の外には、夜景がキラキラとしていた。この景色を綺麗だと思える私は、安心してここに存在していられるからなのだろう。その日見た画像に映っていた子どもたちが、いつかこういう景色を見て綺麗だと感じられる日が来るだろうか。私はこんな景色を12階から見ていていいのだろうか。泣きたくなった。悔しくて、悲しくて、もどかしくて、はがゆくて。こぼれそうな涙を噛み切った。あの子どもたちが、心から笑う日が来ると私は信じる。彼らと私は繋がっているから。虐待を受けていてもいなくても、人は人として繋がっていると感じているから。人を傷付けるのも人だけれど、人を支えるのもやっぱり人だ。そして私も、彼らに支えられて生きている。

 2日目、同じグループで事例検討と虐待予防への対策について話し合った。
 事例検討になると、異文化交流は少し通じやすくなる。それぞれの立場で、何ができるか、どう動くか、被害を受けている子どもにとって、加害をしている大人にとって、何が必要かをより具体的に語り合う時、話す言葉は専門的ではなく日常的になっていくからだろう。この専門でできること、あの専門に任せること、それらを詰めていく。もちろん、その動きの背景にある考え方が違うから、ぶつかることもあるけれど、そこを繋いでいく作業は興味深い。そうして違いを知ることは、どう繋れるかを考えられることでもある。私は、教育学を学んで、それだけじゃ足りないと感じて臨床心理学を学び始めた。最近では、脳科学・神経学も必要じゃないかと感じてる。でも、一人他分野は、どうしても限界がある。私の人生にも限界がある。他分野と連携する力を鍛えていくことが、自分の専門で力を発揮することにも繋がるのだろうと思った。
 予防についての話し合いは、慣れてきたのもあって、時間が足りなくなるほど意見が出た。現実的には、難しいだろうなぁと思うことも。もっと現実的には、それをする金はどうしようねぇと思うことも。でも、可能性をたくさん考えておくこと、選択肢を増やすことは大事だと思うから。学生だから考えられることだとも思うから。普段、ケースに向き合っている時には、現実的なことばかり考えてしまうから、そういうアイディアに出合うのはおもしろかった。でも一方で、もっと基本的なことも大事にしたいなと思う。虐待を防ぐのに、魔法みたいなやり方なんてないんじゃないかと私は思ってる。だから例えば、読み書き計算という基本的な学力をつけることだって、虐待を受けている子どものサバイヴする力となることもある。そういう、それぞれの専門分野での基本的なことを大事に丁寧に取り組んでいくことも、大事なのかなと改めて思った。

 そんなこんなの異文化交流の2日間。なんだかどっと疲れて、達成感はこの疲れを超えて参加し終えたことでかと思うほど。いやいや、いろいろと考えるいい機会になったし、得たものも多かったと思う。まだまだ頭ン中ごっちゃごちゃだから、これから少しずつ整理していきたいと思う。頑張ろうっと。


| ユキ | 21:49 | comments (2) | trackback (x) | giornale(日記) |
秘密の風穴
以前働いてた時、あたしは編集長と「仕事」の話が通じないと感じてた。
だから、話が通じると思う人に相談するようになって、そうしているうちにまるで自分が正しいかのように勘違いし始めて、いつの間にか「この雑誌はあたしが作ってるんだ」なぁんて妄想まで抱くようになった。
なんて傲慢なんだ。
それで結局、職場の人間関係が悪くなって、雑誌を良くするどころか、雑誌作成に携わることさえできなくなった。
いい雑誌を作りたかったら、最低作成に携わらなきゃできない。そして、その最低をクリアするためには、最低職場の人間関係ができなきゃいけなかったんだ。
そんな、最低の最低すらできなかったあたし。
そのことに気付いたのは、仕事を辞めて数年経った頃だった。
雑誌を買うお金を払う人に、誠意を持ってその価値に応えなきゃいけないんだって、あたしはワーワー伝えてた。言うだけじゃなく、あたしなりに努力もしていたつもりだった。
だけど何十年もその仕事をしていた彼女には、きっとあたしには見えていなかったものが見えていたのだろう。
今は、そんな風に思う。

そう思っているはずのあたしは、また同じことを繰り返そうとしてるのかもしれないと足踏みしてる。
同じ立場であるはずの同級生に対し、「仕事」の話が通じないと感じてる。
どう通じないかっていうと、「あの色綺麗だね」って言ったら「うん、にがいよね」って返ってくる感じ、掛け算習ってる時に漢字の読み方を聞かれる感じ。
一緒に仕事をしなきゃいけない相手だから、伝えたいと思う。
思うけど、話せば話すほどすれ違ってばかりで、そのうち話を聞いてさえもらえなくなる。あたしも疲れてしまう。
よく話をする同級生には伝わることが、伝わらないように感じる。
どうしたら彼ら彼女らの理解に沿って伝えられるのだろう、どこまで言葉を使えば伝わるのだろうと考えるけれど、そこに心労していると、学べるはずのものがおざなりになっていく。
半年過ごした今、自分の能力の限界を感じて相談しようと考えた。
でも、そのことがいいことなのかどうか、また仕事をしてた時のことを繰り返さないか、そういう躊躇を抱えてもいた。

毎週毎週、もれなくミスが続いた。
あたし以外の全員が、割と大きなミスを連発していた。そのことで、全員が注意を受けた。
たまたまあたしはミスに繋がっていないだけ、そう言い聞かせながらも、なぜ同じことを繰り返すのかという苛立ちも本当はあった。
常に全員のフォローをすることに疲れ、困らないと学べないのだろうと、ミスが起きること覚悟で放置したのはあたしだった。
なぜこの時期になってミスが増え始めたのか、スタッフは分からないと言う。あたしは、それがなぜかは分かっていたけれど、それを隠し持ったまま、どうすればいいのかは分からなかった。
秘密を抱え、追い詰められて、困ったのはあたしだった。
ミスをした同級生は「まぁ、いっか」と笑う。「声掛けして」と頼る。スタッフは「同級生で話し合うように」と言う。
あたしがミスを起こしてなくても、同罪だった。そして、仕事に対して迷惑を掛け続けるのは、もっと大きな罪だった。
あたしは秘密を打ち明けることにした。まずは話が通じると思っている相手に。働いていた時の経験があったから、多くは語らなかった。話すことを躊躇っていることも伝えた。
秘密は、一度風穴を開けると、どんなに小さな穴であっても、秘密ではなくなるんだ、多分。

今までずっと言えなかったことを、いつの間にか当人たちに話してた。
やっぱり通じない。
見当違いの答えが返ってきたりする。
それでも、通じると思っている相手にだけ話すよりも、当事者に伝える方がずっとストレートだと思った。
言い過ぎたかもと反省して謝罪したら、感謝の言葉をもらえた。話し合う時間を作りたいというあたしの提案に、乗ってくれた。
自分だけが見えていると思って、見えていることを見せないまま、話しても通じないと感じて、話すことを諦めさせていたのは、あたしの傲慢さだった。
優等生もどきからの指示がなくなって、ミスが起きて、課題が浮き彫りになって、反省して、それからじゃないと伝わらないってことなのかもしれない。
結局、やっぱりあたしが彼ら彼女らの学びを奪っていたのかもしれない。
秘密の部屋に風穴を開けて良かった。
後は、精一杯伝えようと言葉を使うことだけ。それを受け取るのは、あたしにはコントロールできない他者。


| ユキ | 23:22 | comments (2) | trackback (x) | giornale(日記) |
アレ荒れ掲示板
随分とコメントがあると思いきや、荒らされてますね(;´д`)
まぁ、随分前から気付いてはいたんですけどね……。
コメント書いてもらえなくなるのは寂しいから残していたのですが、しばらくコメントもできないように設定しちゃおうと思います。
うーん、困ったもんだ。
何かコメントしたい時にはメールでお願いします。


| ユキ | 03:33 | comments (x) | trackback (x) | その他::おしらせ |
白虎魂
明けましておめでとうございます。
この台詞を言えたのは、何年振りだろう。
一年間、身内から死人を出さないことが、こんなにも貴重で幸せなことかと噛み締めながら、年末年始を過ごした。

寺の住職だった祖父母が他界してから、寺での集まりも解散して、親戚の間にも不協和音が生じていたけれど、今年は集まることになったことを知り、確かにまた親戚が和やかな雰囲気を持てたことは嬉しくもあったけれど、寂しくもあった。
だってそこに行ったら、大好きな祖父母がそこにいないことを痛い程に感じてしまうだろうから。
姉の11か月、3歳の幼子と、いとこ2人のそれぞれ11か月、1か月の子。姉のお腹には4月に生まれる男の子も宿っている。
その子たちを取り囲む大人たち。子どもたちはその空気を更に和やかにしてくれた。
だけど、どうしてもあたしは感じてしまう。未来を象徴するかのような幼子たちが増えていくという世代交代の裏側には、過去に留まり続ける祖父母たちの死があることを。
でも、この姿を祖父母たちだってきっと望んでいたはずなんだ、そう自分に言い聞かせた。
あたしはまだ、喪中に留まっていた。そうだ、過去に留まり続けているのは、祖父母ではなくあたし自身だった。

実家で31日から3日までを過ごし、なぜか殺される夢ばかりを見ながら、寝苦しい日々を過ごした。
ある夢では、祖母が「早く逃げなさい」と先に飛び出し、逃げ道を教えてくれたのに、あたしはそれに従わず、部屋に留まった。軍隊の服装をした女性が部屋に入ってきて、「ちょっとペン貸して」と隣にいる誰かにペンを借りると、あたしの鎖骨に何かを書いた。そこに触れると、ザラザラと皮膚が解けていくのを感じ、その書かれたものが二度と消えないと知ったあたしは、「あたし殺されるの? ねぇ、あたし殺されるの?」とその女性や周りの人に言うけれど、皆静かに笑うだけで何も言わなかった。その後あたしは、別室に連れて行かれ、同じように記号のようなものを書かれた人々と列を成し、銃で撃たれるのを待った。
今年は雪がとても少なくて、あたしの心のもやもやを白く埋めてはくれなかった。
雪が少ないと、泥や汚れを雪が吸い込んで、かえって汚く見える。
その上から止め処なく雪で埋めると、白い銀世界が生まれる。
でも、その雪が解けると、押し込められていた汚れがまた現れる。
そんなもんだ。

実家から姉のところに寄って、5日の夜中に帰って来ると、急に具合が悪くなって、次の日は一日寝込んだ。
これは毎度のことだから、もう慣れているけれど、まだ身体化してしまうのだなと少しだけしょげた。
そうして寝込んでいる時に、久々にテレビをぼんやり見ていたら、『白虎隊』のドラマをやっていて、寝込みついでに見ることにした。

地元にいた頃は、祖父や教員たちに何かと言えば「会津魂」「白虎魂」を持てと言われ、単なる愛国心の押し付けだろうと思い、「ならぬものはならぬ」という言葉にも理不尽さを感じ、嫌気がさしていたのだけれど、不思議なもので故郷を離れてからの方がそれらに魅力を感じるようになった。
故郷を離れたことだけじゃなく、年を取ったってこともあるんだろうな。
散々訪れた鶴ヶ城や飯盛山にもうんざりしていたくせに、祖母の看病の帰りに時々寄ってぼんやり過ごしたりもした。そう、日新館の前もわざと遠回りして通ったり。
自分が何に惹かれているのかは、今でもよく分からない。でも、会津魂を感じるようになったのかもしれない。
父方の祖父はよく、立派な武士だったという祖先を自慢してた。白虎魂の血はお前にも流れているのだ、と。その祖父が他界して、複雑な感情を少しずつ素直に受け入れることができてきたのかもしれない。
祖父の背後には確かに、白虎魂が在ることを感じられた。そしてあたしは、紛れもなくその祖父の血を受け継いでいる。
世代交代の寂しさは、そのバトンを引き継いでいくという支えとのバランスなのかな。

明日からはテスト期間。実習も始まる。会津魂で何度も起き上がって乗り越えてやる!


| ユキ | 02:35 | comments (x) | trackback (x) | giornale(日記) |