2006-03-07 Tue
Aryla.netのあゃさんから「千葉県民バトン」が回ってきました。あ、これってあたしが千葉県民ってばれちゃう!?
まぁ、もう引越しちゃうから良しとして、最後の思い出にやっとこうかと。
【千葉県民バトン♪】
◆千葉県のどこ住みですか?紹介も兼ねて。
千葉市です。8年間いたことになるのかな。4年前にアパート引っ越してるけど。
思ったより長居をした気がする。その分、思い入れも深くなったかな。
◆東京ディズニーランドの名称が気に食わない。
あ、千葉なのに「東京」だからかぁ。別にいいんじゃないかと思うけどな。
◆ジャンケンであいこが続くと「しょっしょっしょ!」と言う。
いや、「あいこでしょ」を言い続けるね……。
出身が違うから許してくださぃ(;´Д`)。
◆千葉ロッテより巨人が好きだ。
ある時から、ロッテファンになっちゃいました。
野球は興味なかったんだけど、マリンに行ったら楽しくて!!
千葉を離れるけど、ロッテファンはしばらく続きそ。
◆キムタクが東京出身といっている気持ちが分からなくもない。
分からなくもなくもないかな(笑)
千葉もいぃところだと思うょ、うん。
◆茨城県は関東地方ではなく東北地方だと思っている。
いや、東北出身のあたしから見れば、茨城は関東です(笑)。
っていうか、東北バカにされてる!?
◆京葉線海浜幕張駅とは対照的な総武線幕張駅の寂れ具合がちょっと悲しい。
幕張駅をあまり使ってないから分かんない……。
◆近所にマルエツかジャスコがある。
マルエツがあるねー。
サティの方が近いから、愛用してるけどね。
◆春の選抜高校野球は嫌いだ。
好きだよね~。
なんかあの一生懸命な少年たちを見るのが(笑)。
◆高校サッカーといえば市船が頭に出てくる。
うーん、有名だしねぇ。
ちょっと時間かかるけど、市船かも。
◆船橋駅の待ち合わせスポットと言えばさざんかさっちゃんだ。
前のバイト先が船橋だったけど、待ち合わせしなかったからな。
しかもさざんかさっちゃんを知らなぃ……。
◆県外から千葉県に入る大河を渡るとき何だかほっとする。
うんうん。仕事してた時がそうだったね。
毎晩押し潰されながらあの川を眺めて、やっと帰ってきたなぁって。
◆田舎もんだとは決して思っていない、基本的に自分は東京人と変わらないと思っている。
長い電車を見ると少し興奮するし、人込みに行くと頭痛が起きる田舎者デス。
出身は東北だもーん@言い訳
◆埼玉を仮想敵国と思っている。
なんか、千葉VS埼玉みたいなのってよく言われるよね。
あたしはもともと客観的な立場だからかもだけど、仮想敵国なんて全然。
◆小4の社会科の教科書は「すすむ千葉県」
えっと、小4の頃は、東北の田んぼで遊んでました。
教育実習したけど、「すすむ千葉県」っていうのがあることすら知らない……。

◆羽田空港に向かう飛行機で県内上空を通過しているとき、成田で降ろして欲しいと思う。
羽田も成田もたいして移動時間変わらないんじゃないかと……。
まぁ、飛行機って何回かしか使ったことないけどね。
◆都内でのんでいると仲間と終電の時間があわない。
うーん、みんなも神奈川だったり千葉だったりで、大体一緒だよね。
都内で飲むって仕事やってた時が一番多かったからかなぁ。
◆千葉市が県庁所在地であることを疑問に思う。
え、なんでだろ。
大体県名と同じところが県庁所在地だよね??
◆旅行先でどこからか聞かれて、東京もしくは東京の方と答えてしまって自己嫌悪に陥る。
いや、千葉って答えてたょ。
全然通じると思うんだけどなぁ。
◆買い物はもちろんららぽーと。
いや、千葉駅か東京まで行っちゃうかなぁ。
最近お金なくて買い物してないね……@涙
◆あなたの素敵な千葉県民にバトンをまわして下さい
リョーマくん、よろしく!!
2006-03-02 Thu
先日の日曜、前のバイト主催の研究集会があって行って来た。もともと合格の報告とお世話になった挨拶をしに行くつもりだったのだけれど、本の販売を手伝ってほしいと連絡があって役に立てるなら喜んでと。結局、何だかんだと手や口を出してしまったけれど。講演は、浅川道雄先生(元家裁調査官、NPO法人非行克服支援センター副理事長、「非行」と向き合う親たちの会副代表)だった。実は、NPO法人非行克服支援センターで講演をしてお世話になっていたので、接待をしながら久しぶりにお話をした。「今の人たちは希望が持てないもんねぇ。それが大変だよねぇ」と白髪と帽子がよく似合う浅川先生が、しわの深い笑顔で言うと、なんだかほっとする。直接というよりも、多くの人々をよろしくお願いしますと頼りたくなる。
講演は仕事をしていてあまり聴けなかったのだけれど、酒鬼薔薇聖斗の手紙を資料として掲載し、子どもたちを「透明な存在」にしてしまう義務教育について話していた部分を聴くことができた。義務教育が、教育を受ける義務ではなく教育を受けさせる義務であること、教育を受けることは権利であることなどを説明した後、この義務教育がどれだけ子どもたちを苦しめているかを話していた。勝ち組・負け組社会、成績で差別・選別される学校、学校化していく家庭教育。非行少年少女の訴えに、低く身を置いて耳を傾けてきた彼だからこそ話せるリアルな言葉がたくさん聴け、参加者も「心が痛むわ」などと言いながら彼の著書本を買って行った。
あたしは、薄暗い舞台裏で地べたに座り込み、コンクリートの壁に背を任せながら、宙を仰いで聴いていた。「透明な存在」かぁ……。あたしはどうだったのだろう。いじめに遭った時、あたしは透明な存在になろうとした。でも、いじめられっ子は透明にはなれない。いじめられっ子として存在しなければ、いじめはいじめにならないから。役割分担だ。中学に入ってから、透明な存在になろうとはしなくなった。ただ、役割分担は上手くなった気がする。教室で、生徒会で、部活で、友達関係で、恋愛で、家庭で、それぞれ期待される役割、自分がなりたい役割を演じてこなしていたんじゃないかな。もちろん、その時はそんな意識なんかなかった。でも、どこかで自分を見ている自分の存在は感じていたかもしれない。一人で泣いている時でも、ここは泣くとこだから泣いとけって見てる自分がいた。だから、自分という存在は透明だったのかもしれない。自分の本音を出せた場所は、糞尿と共にトイレん中くらいでさ。
でも……。あたしはもう一度明るいステージを振り向いた。あたし、ここで生きてるよ。今は透明でも何でもない。いろんな人と出会って、いろんな自分と向き合って、あたしは透明ではなくなった。血なまぐさくて、どんくさくて、かっこ悪くて、いっぱい転んだりもしてるけれど、それでも生きてる。透明な存在の時もあったかもしれないけれど、あたしはいなかったんじゃなくて、透明なあたしを生きていたんだとそう今は思う。「透明な存在」は、存在していないんじゃなくて存在してるんだ。そして存在し続ければいつか自分を生きられると思えるような、希望なんてキレイなものじゃなくても、ナニカを「透明な存在」を生きる彼らに見せられたらいいのになと思った。そう思えるまで、透明だって泥だらけだって存在し続ければそれで充分だよ、いいんだよってさ。ただ、「透明な存在」って寂しいんだ。本当の自分を見てほしい、愛してほしいと願いながら、本当の自分を出せない。
ずっと特別な存在になりたかった。特別な存在にならなきゃ、自分を証明できないんじゃないかと思ってたから。でも今のあたしに明るいステージは眩しすぎて、ステージ裏に座り込むのが丁度いい。そんなあたしがあたしである証明なんだって、少しずつ気付けたからかもしれない。そして寂しさも、それらと手をつないで歩くことを少しずつ覚えてきたのかもしれない。
「透明な存在」に色を付けるため、色を付けてくれるはずの他者を殺すことしか浮かばなかっ
た彼。そして、「透明な存在」に共感した多くの若者たち。そんな彼らに見せられる希望はないかもしれない。けれど、だからといってこの世界が絶望に満ちているわけではない。それを、ほんの少しでも伝えられたら。あたしも生きてきたよって伝えられたら。そんな風に思った。その後、バイトでお世話になったみなさんと飲みに行って、いろんなことを話しながら終電近くまで飲んだ。やっぱ生きてるとおもしろいこといっぱいある。人と会って、笑って、話して、飲んで、胴上げされて(笑)。仕事からつながったこの世界で、様々な人と出会えた。これからもこの世界から足を洗う気はなく、引越し先の人にも早速連絡を取った。引越し準備はなかなか進まないくせに、そういうことだけはできるんだよね。一週間後には引っ越す。また新しい色を手に入れながら、寂しさも抱えて、あたしを歩こう。
2006-01-20 Fri
ちょっとしたきっかけで、出てくる内なるこえ。例えば、「ユキがこう言ったから私はこうしてるんだよ!」という怒りの言葉が連続した時、そのスイッチが入る。
「ユキがこう言ったから…」
「あんたがああ言ったから…」
「ユキがこうしたから…」
「あんたがああしたから…」
「ユキがこうだから…」
「あんたがそんなだから…」
「ユキがいるから…」
〔あたしが、あたしが、あたしが、あたしが、あたしが……〕
結局、あたしが何を言ったか、何をしたか、ではなく、あたしの存在自体の否定につながる……内なるこえ。いつの間にか、あぁ、あたしがいるからいけないんだ、あたしが全部悪いんだ、あたしがいなければ良かったんだ、そうつながる……内なるこえ。
いなくなればいいのに……死んでしまえばいいのに……何度そう考えれば、あたしはこの内なるこえから解放されるのか……。
本当は少し、気付いてもいる。人のせいにして自分を防衛したい人のココロ。あたしだってそんなことはたくさんしてる。けれど、それを相手に伝えても、「その時」には分からないものなのかもしれない。無意識にでも、認めたくない分かろうとしない人には、分かることができない人の情動。
あたしだってそうだった。いくら言われても、分からなかった。むしろ逆に、どうしてこの人は反発する
ばかりで、あたしの言うことを分かってくれないのだろうと思っていた。今は、あの時そう言った彼には、あたしのその狡さが見えていたのだろうと思える。半分も分かっていないと思うけれど、少しだけ気付けた。
そう気付いても尚、響くのは内なるこえ。
「あんたが……お前が……ユキが……」
〔どうして、あたしなんだろう〕
〔やっぱり、あたしなんだ〕
これも、あたしの狡さなのだろう。誰かのせいにできなくなって、自分の具体的な言動の過ちだけでも説明がつかなくなると、あたしは結局自分に全てを押し付けて、あたしを徹底的に攻撃して、攻撃対象であるあたしの一部を切り離して殺してしまう。これはあたしの癖みたいなものだ。でも、だから、気付いた時にはすでに、内なるこえに支配され、無力感で動き出せない。
いつかこの内なるこえと決別し、分かろうとしなければ、あたしは何も分からないまま……なのかもしれない。
2005-11-28 Mon
最近、書くことをしなくなった。なんだろう、余裕がないのかもしれない。余裕がない時に書こうとすると、かっこつけてしまいがちだ。言葉で自分を取り繕い、自信のなさを自分で隠してしまう。そんなダサいことをしたくないから、書かずにいるのかもしれない。それでも、書かずに過ごしていると、やっぱり書きたくなる。手帳に書くことは時々しているのだけれど、それよりもキーを打ちたくなる。PCの画面に文字を並べたくなる。病気だな。紀宮さんの結婚披露宴のニュースを見ていたら、母親である美智子皇后から「大丈夫よ」と声を掛けられたと言っていた。「しっかりしなさい」でも「頑張りなさい」でもなく、「大丈夫」っていいなと思っていた。その後何度もその話を繰り返すのを聞くうちに、少しウンザリしたけれど。少し前に加害者と被害者の関係を考えていた時、テトとナウシカの出会いのシーンを思い起こした。そうい
えばそこでも噛み付いたテトに対し、ナウシカは「大丈夫」と言っていた。加害者と被害者の関係を考える上での、ここでのナウシカの言動はまだ整理し切れていないのだけれど、この「大丈夫」という言葉もまた、いいなと思う。あたしは親に、「大丈夫」と言われたことがあっただろうか。「大丈夫でしょ?」「大丈夫だよね?」という有無を言わせない念押しはあったかもしれない。けれど残念ながら、先の分からない不安に対して、信じられる「大丈夫」という言葉を掛けられた記憶はない。大学でお世話になった先生にはよく、「大丈夫」と言ってもらえた。その言葉を聴くと、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だ。不安で踏み出せない時、たった一言「大丈夫」と言われるだけで、動き出せることもある。怒りで自分を見失っている時、たった一言「大丈夫」と言われるだけで、鎮められることもある。なのにその呪文は、本当に必要な相手、時ほど、向けられない気がする。
かといって、無責任に大丈夫と言えばいいというものでもない。やはり言う相手との関係によって、その効果は違ってくる。自分のことを考えてくれる人、自分のことを分かろうとしてくれる人、そういう人に言われて初めて、「大丈夫」という言葉は響くのだろう。「大丈夫」と言われた時に安心する自分を感じながら、そういう存在が自分にはいると知ることで、本当の意味で安心できるのかもしれない。安心できる「大丈夫」という言葉を掛けてくれる存在は、「大丈夫」と思えなくなりそうなこの世界を生きる上でとても大きい気がする。
けれど、今の余裕のない社会を思うと、他の誰かのことを考えたり分かろうとすることの困難さも感じる。忙しければ、自分が傷ついていれば、他者への興味を持つことは難しいだろう。他者に興味がなければ、人はいくらでも横暴になれる。逆を言えば、他者に興味を持つことができると、人は謙虚になれるような気がする。例えば、ツマラナイと思う相手であっても、その背景や人生に興味を持つことができれば、態度はずっと変わってくる。少なくとも、その相手の存在自体を貶めたりすることはなくなるのではないだろうか。
そんなことを言いながら、あたしには自分でも嫌になるくらいに謙虚さがない。年を重ねるにつれ、以前の自分に謙虚さがなかったことに気付きながら、それでもどこか突っ張っていて、「あたしはあたしだ」と押し進む感じから抜け切れない。他者への興味がないわけではないけれど、それよりも今はまだ、自分への興味が大きいのかもしれない。他者に対し、完全な空席を設けられるようになるには、頭の中に転がっている自分の欠片を大切に整理する作業が必要なのかなとも思う。大人にな
り切れない27歳の自分に、ため息が出る。先日、ある人に「時間軸を捉え直す必要があるかもしれない」という話をしてもらえた。確かにあたしは、世間一般的な時間軸で27歳をはかり、焦ったり諦めたりしているのだと気付かされた。「人生かけて何かひとつできれば充分」というような話を聞けて、それまでの焦りや不安がスッと鎮まった。その言葉はあたしにとって、「大丈夫」と同じ効果、いやそれ以上に的確な効果のある言葉となったのだろう。
テレビを付ければ、毎日のように重く沈んでしまうような事件の報道が流れ出てくる。加害者でも被害者でも、彼ら彼女らは、謙虚で大切な誰かから「大丈夫」というメッセージを受けられていただろうか、いるだろうかと、部外者であるあたしは考えてしまう。
*画像は、ちょっと前に190円の電車賃を浮かせるために3時間歩いた時に撮ったもの。他にもあるけど、徐々に使っていくつもり。とてもいい天気の朝で気持ち良かった。
2005-10-18 Tue
母方の祖母が他界したのが2年と2か月前の2003年8月。その半年後の2004年2月、父方の祖父が急に逝ってしまった。祖母の死から8か月後の2004年4月、母方の祖父が祖母の後を追うように逝った。そして今回、ついに祖母も他界した。母方の祖母は一年寝たきりではあったけれど、誰もが元気なままあっという間に去っていった。祖父の死から1年以上が過ぎ、夏に会った祖母もようやく元気を取り戻してきたように感じた。夫のいない寂しさも語ってはいたけれど、同時に外に出掛けるようになったという力強い言葉も聞けるようになったばかりだった。最後の祖母が他界したことで、終わったのだという感覚を得た。何が終わったのだろう。時代、だろうか。寂しい気持ちももちろんあった。けれど同時に、はじまりを強いられている感覚もあった。
母方の祖母にしても、父方の祖母にしても、強い意志を感じられる女性だった。あたしはそういう家系に生まれ、こうして生きているのだろう。二次試験で出直しを告げられた直後の告別式は、そんなことも考えさせられた。あたしと同年代のいとこはみな結婚し、子どもを1人、2人と連れていた。そんな中で、あたしは未だ生きる術を定められず、もがいている。そのことがおもしろくもあったけれど、同時になんだろう切迫感のようなものも感じた。その感じは決して悪くはない。ただ、いつまでこうしていられるのかという不安は残った。
あたしは、思考することが好きだ。受験勉強をしていても、どうしてこう考えたんだろう、どうしてこう思いついたんだろう、本当にそうだろうか、こう考えたらどうだろう、そんなことを考えては後回しにするためのメモが増えていく。その思考する力があたしの力だと、面接で言ってもらえた。あたし自身も、その力をつけたいと思ってきた。けれど、それらを大学院での研究に対して続けるためには、知識を備えるための記憶力が必要なのだ。その記憶力が届かない場合、自分の限界を知り、諦めることも必要になってくるのではないだろうか。祖母の死によって、次は父母に順番が回ってきたと感じた。諦めなければならない日は、そう遠くないかもしれない。
かの発明家であるエジソンは、歴史上の科学者を覚えただろうか、科学の知識を暗記したのだろうか。いや、彼はそもそも学校を辞めた人か。知識が視野を広げることも分かる、広い知識がバックグラウンドになることも分かる、知識を持つことの重要性は理解しているつもりではいる。けれど、それらは本を開けば書いてある。記憶力のないあたしにそれらを叩き込む時間は長い。その時間に、本には書いていないことを考え出したいと思うのは、やはり傲慢な負け犬の遠吠えだろうか。遠吠えと知っているから、今年ダメだったらどんな職に就こうか、どんな仕事だったらできるだろうかと、頭の隅で考えてもいるのだろう。
バランスの悪いあたしは、翼をかろうじて片方だけ得ているのかもしれない。うまく飛べないもどかしさに、いつか負けてしまうのだろうか。そして翼をもてあましながら、使い道に戸惑いながら、少しずつしか前に進めないのだろうか。どんなおわりにし、そしてはじまりにするのか。そういう時期だと思う。それでも、ひとつずつこなしていくしかないのだろう。まずは、冬の試験。考えるのはそれからでも遅くはない。2005-09-07 Wed
今週末まで通う予備校は、螺旋階段になっている。今週は4階の教室で、あたしはぐるぐる階段を上る。上っていると下に螺旋が見えて、目が回りそうになる。それでも、螺旋は前に進めるからいい。あたしは、ぐるぐる円を回っている気がする。そんなことを考えながら、教室に入る。最後のテストを受けていたら、デジャブ-既視感-が起きた。デジャブは現在の記憶を過去の記憶だと脳が認識してしまう、バグのようなものだと聞いたことがある。帰り道、ホームに立ったら泣き出しそうになった。目の前のすべてが、ストンと落ちたような感覚がまたやってきた。積み重ねてきた積み木が、崩されるとか壊されるとか、そういうのではなく、穴にストンと落ちて目の前から消えてしまう感じ。記憶や感覚が、どこかに消えてなくなってしまうような感じ。そしてその隙間を埋めるのは、侵入的な遠い過去の記憶や無力感、喪失感だったりする。これもまた、脳のバグなのだろうか。そんなことを考えていた。
家に帰って眠りにつくと、夢を見た。前の職場でお世話になった編集者のTさんと小さな男の子と一緒にいる。その男の子はどうやら不思議な能力を使えるらしいことは分かっているが、あたしはそれを実際には見たことがない。あたしは大きめの黒いベールを羽織り、黒い帽子を被り、トランクを持って、その二人と家を出る。向こうからおばあさんがやってくると、Tさんはあたしにフランス語で話し掛け、あたしもそれに合わせて応じながら、顔を伏せてやり過ごした。電車を降りると、道なりに歩く。目の前に、浅い川に板を渡しただけの橋が見える。真ん中が弛み、車が通るたびに軋んでいる。その右手に、幅はとても細いけれど安定した厚い板の橋があり、あたしたちはそれを渡って進んだ。そして、目的の家に辿り着く。実はこの場面は初めてではなかった。今までに、何度か夢で見ている。月に一回くらいのペースで、あたしは夢の中のその家に向かっていた。いや、その男の子の修行か何かのために、向かわなければならないことになっていた。
その豪邸に入ると、早速もてなされる。でも、今回は梅の海苔巻きのようなものだけで、なんだか質素だった。いつもならご馳走が並ぶのになとあたしは夢の中で思う。ご飯をそこそこにして、2階の中・高生くらいの男の子や女の子がいる子ども部屋へ行く。女の子が机を空けてくれ、あたしはそこで勉強を始める。次の場面で、あたしは『心理統計』の参考書だけを持ってバスに乗っていた。あの橋を渡る時、真ん中あたりでタイヤがほとんど水に浸かった。その揺れに驚いてバスの中を見渡すと、一番後ろの席に体格のいい柄の悪い男が座っているのが見えた。駅に着いてバスを降りて階段を上り始めた頃、あたしは荷物を忘れたことや挨拶もなく出てきてしまったことに気付き、戻らなきゃなとぼんやり考えながら歩いていた。
その時、口の中に大きめの飴を転がしていたのだけれど、それが当たった歯が抜けた。その歯を出そうと舌で転がしていると、次々と歯が落ちていく。抜けるなんて感じではなく、2,3個一緒に歯茎ごとボロボロと落ちていく。口の中の、歯が転がる感触や抜けた後の感覚がとてもリアルだった。落ちた歯を拾おうとしたのだけれど、6,7個の塊で抱えきれずひとつ落としてしまった。それを階段の奥の隙間から、下の草むらに蹴り落とすと、残りを抱えて階段を上った。
階段の上の広場には、あのバスの中で見た男が誰彼構わず因縁をつけていた。あたしを見ると、向かってくる。あたしは走って逃げた。最初は逃げられていたのだけれど、結局腕を捕まれた。「助けて」と大声を出そうとするのだけれど、声が出ない。相手はニヤニヤと笑っている。あぁ、もう駄目だな。そう思った時、男が急に手を離し、別の手があたしの手を優しく取った。男はその手の持ち主に頭を下げている。手を引かれながら隣を見ると、高校の制服を着た女の子だった。後ろから、もう一人付いてくる。その子は嬉しそうにあたしを見る。「うちに戻るでしょ?」と言われ、さっきの家の女の子だと気付いた。「ごめんね。おばちゃんだから女子高生ってみんな同じに見えちゃう」と謝っているうちに、バス停に着く。するとその女の子は「バイバイ」と明るく走って行き、実は後ろから付いてきた女の子がさっきの家の子だと分かる。2人用の席の前後に斜めに座り、後ろを向いて話していたら、その女の子から急にキスをされた。でも、あたしは動揺するでもなく、彼女の言葉を待つ。「あたし、女の子が好きなの」と微笑む彼女に、「女の子が好きなことと、あたしにキスすることはイコールじゃないでしょ」とあたしも笑う。
バスで向かうと、少し遠回りをすることになる。ぐるっと回ってバス停に着き、降りると近所のおじいさんが2人、道端でおしゃべりをしていた。「あ、お嬢様。こんな夜遅くに……。旦那様には内緒にしておきますから、早くお帰りください」という彼に、彼女は笑顔だけで答え、家に入るとこっそり部屋に戻って行った。あたしもリビングに向かうと、分かっていたかのようなタイミングでTさんと男の子が出てくる。あたしも荷物を持ち、挨拶をして家を出る。帰りはバスに乗った。駅の階段を上りながら、今度はバスの中に荷物を忘れたことに気付く。慌てて事務所に向かおうとすると、すり鉢状になった階段の上にいて、その階段には公衆電話が密集して並んでいた。事務所に着くと、あたしの荷物はあったのだが、職員のおじさんが「え、これ君の? 違うと思うんだけどなぁ」と首を傾げている。あたしが彼に会うのは初めてで、何を根拠に言っているのか分からず、理不尽さに少し腹が立ちながら、その鞄に入っている免許証などを見せて証明するとようやく電車に乗った。目が覚めて、一番印象に残っていたのは、歯がボロボロ落ちる感覚だった。以前、田口ランディ氏が歯がすべて抜ける夢を見たという話を書いていた時、歯っていうのは租借をするものだから、今までの歯では租借できないような変化が起きる、新しい価値観のようなものが必要になる、そういうことなんじゃないかと分析していた。そうなのかもしれない。今までの価値観を、一度は捨てるというか距離を置くことで、新しい見方をしなければならない時なのだというのは、研究計画書に行き詰っていることとリンクして、理解できないことじゃなかった。今までの歯を捨てなければ、あたしは円をぐるぐる回るばかりで、前には進めないのかもしれない。円をせめて螺旋に変えるために、新しい価値観を飲み込まなきゃいけないのかもしれない。なんだか眠ってたのか起きていたのか分からないくらい疲れた。頭の悪いあたしは、勉強で脳を使ってるせいで壊れかけてバグを起こしているのかも、なんて。
2005-07-29 Fri
あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは、隣町でギターを弾きながら歌うことでお金を稼ぎ、おばあさんはおじいさんの歌う唄を作っていました。二人は貧乏でしたが、好きなことをして暮らしていることにとても満足していました。ある日、おじいさんが隣町に向かう途中、小さな男の子が道端で泣いていました。
「どうしたんだい?」
いくら聞いても泣きやみません。困ったおじいさんは歌うことにしました。ところが、どうやらギターを家に忘れて来てしまったようです。
おじいさんは、山の中から竹を見つけて笛を作り、それで演奏することにしました。でも、笛を吹きながら歌うことはできません。そこで、子どもの知っていそうな曲を奏でました。すると、子どもは泣くのをやめて歌い始めました。その歌声は、おじいさんが初めて耳にする、とても心に響く不思議な声でした。
男の子が笑顔になったのを見て、おじいさんは尋ねました。
「どうしたんだい?」
「分からない…」
「どこから来たんだい?」
「分からない……」
「名前は?」
「分からない………」
おじいさんは、男の子の歌声に感動したので、
「わたしと一緒に町で唄を歌わないかい? そうすれば、いつか君のお母さんやお父さんに会えるかもしれないだろう?」と、話しました。男の子は、嬉しそうに頷きました。そこで、おじいさんは男の子に名前をつけることにしました。
「君の名前は今日から唄星だ。一緒に楽しい唄を人々に届けようじゃないか」
その日から、二人は毎日一緒に隣町まで行き、おじいさんが演奏を、唄星が唄を歌いました。唄星の声は人々の心も魅了し、たちまち大勢の人々が集まるようになりました。おかげでチップも増え、おじいさんたちの暮らしも少しだけ楽になりました。
なにより、おじいさんは唄星と曲を演奏するのが、とても楽しかったのです。おばあさんも、唄星の話を聞くのが、毎晩の楽しみになっていました。おじいさんもおばあさんも、唄星に出会ってから笑いが絶えず、若返ったように元気になっていきました。唄星もまた、おじいさんとおばあさんと三人で暮らす日々に幸せを感じていました。
そんなある夜、おじいさんと唄星は、満天の星空の下にいました。家の中からは、おばあさんが夕飯の片付けをしている音が聞こえてきます。
「なぁ、唄星よ。お前の唄声はとても美しい。いつか、もっと多くの人々にお前の唄を届けたいのう」
「うんっ。おばあさんが作った曲も、おじいさんが演奏してくれる音色も、ボクは大好きなんだ。だから、ボクたちの音を多くの人に伝えられるように、もっともっと歌いたいよ」
二人の夢は、星空のように果てしなく広がっていきました。
数年が経ち、噂を聞きつけた多くの人々が集まってくるようになりました。いつものように演奏を終えると、聴いていた一人の女性が近付いてきました。
「私はその子の母親です。夫がその子を連れて家を出てしまい、ずっと探していました。もう一度、一緒に暮らしたいのです」
おじいさんは驚きました。最初は、こういう日が来ることを期待していたはずでした。でも、今となっては唄星のいない生活が想像できません。それでも、お母さんと暮らすことが唄星にとって幸せなのだと言い聞かせ、見送ろうとしました。
ところが、唄星は
「ボク、お母さんを覚えていないんだ」
と、言うのです。おじいさんは困り、その女性に子守唄を歌ってもらえないかとお願いしました。女性は少し戸惑っていたようでしたが、唄星に向かって歌い始めました。それは、とても美しい声でした。彼女の歌う唄は、誰も聴いたことがありません。しかし唄星は、いつの間にか合わせて歌っていました。
おじいさんは間違いないと思い、唄星に話しました。
「お母さんが、とうとう迎えに来てくれたんだよ。わたしたちのことは気にしなくていいから、お母さんと一緒に行ってあげなさい」
唄星は、しばらく考え込みましたが、はっきりと答えました。
「おじいさん、今まで本当にありがとう。お母さんを一人にはできないから、ボクは家に帰ります。おばあさんにもありがとうと伝えてください」
唄星の家は、歩いて二日かかる町から遠く離れた山奥の豪邸でした。とても裕福で、おいしいご馳走を食べ、大きなお風呂に入り、お母さんと一緒に眠り、それまでの貧乏な生活とは大きく違い、すべてが満たされた生活でした。でも唄星は、何か物足りなく感じていました。お母さんは気付いていました。唄星が時々、あの町で演奏していた曲を口ずさんでいるのを。
ある晩、唄星はふと目が覚めました。隣では、お母さんが眠っています。すると遠くから、かすかにおじいさんの竹笛が聴こえてきたような気がしました。布団からそっと抜け出し、外に出てみました。空には、おじいさんと語り合ったあの日のように、星空が広がっています。唄星は走り出しました。音に導かれるように、立ち止まることなく走り続けました。気が付くと、そこは大きな竹林でした。竹笛だと思っていた音は、鳥や風があけた穴が笛のように鳴っていただけでした。唄星が呆然と立ち尽くしていると、風がやみ、静けさがあたりを包みました。唄星は、星空を見上げます。
「あぁ、そうか。ボクは、歌っていなければボクでなくなってしまうんだ。おじいさんとおばあさんは元気だろうか」
家に戻った唄星は、お母さんに手紙をかきました。
おかあさん ごめんなさい。
ぼくは やっぱり うたをうたいたい。
だから いえをでます。
だまって でるけど ごめんなさい。
いつか もういちど うたをききに きてください。
いままで ありがとう。
うたぼし
そして、おじいさんたちの元へ駆け出しました。ずっとずっとあの曲を歌いながら、走り続けました。途中、お腹がすいて諦めそうになったこともありました。そんな時は、竹林から持ってきた竹笛を握り締めました。でも、唄星には吹くことができません。おじいさんの奏でる音色を思い出し、唄を歌い続けました。
どのくらい走り続けたのか、ようやくあの町に辿り着きました。いつもおじいさんが立っていた場所で、おじいさんを待ちました。けれど、陽が沈んでも、おじいさんはやって来ませんでした。次の日も、唄星は同じ場所にいました。それでも、おじいさんはやって来ません。いつまでも座り込んでいる唄星に、町の人が声を掛けてきました。
「おぉ、お前はいつかの坊やじゃないか。どうしたんだい?」
「おじいさんを待っているんだ」
「あぁ、あのおじいさんか。そういえば、ここ一週間くらい見ていないなぁ」
それを聞き、唄星はおじいさんたちの家に行ってみることにしました。
家に着いても、いつも聴こえていた音楽が聴こえません。不安を抱えながら、唄星は扉を開きました。するとそこには、横になってつらそうな表情をしているおばあさんと、その隣で竹笛を握り締めたまま泣いているおじいさんがいました。二人とも、唄星が今まで見たことがないくらいに、元気がありませんでした。唄星がやって来たことにさえ、気付きません。唄星は、おじいさんの隣に座りました。
おばあさんは、重い病気にかかっていました。おじいさんは、あまりの悲しさに歌うことができなくなっていました。唄星は、大好きな二人のためにできることを考えました。思いつくのはやはり、歌うことだけでした。
「ボク、歌ってなきゃダメなんだって気付いたんだ。だから、おばあさんのために、おじいさんの演奏で歌いたい」
おじいさんは、大きくため息をつきました。
「唄星、すまないがこの竹笛は壊れて、もう使えないんだ」
唄星は、ずっと握り締めて来た竹笛を、そっとおじいさんに差し出しました。おじいさんの目が輝きます。二人は頷き合うと、立ち上がりました。
会っていなかった時間を感じさせない、ピッタリと息の合った演奏でした。唄星もおじいさんも、二人で演奏できることを、心から楽しんでいました。すると、おばあさんの顔に笑顔が浮かびました。それを見て嬉しく思った二人は、もっと楽しくなって歌い続けました。おばあさんに、「大好き」や「ありがとう」を唄にのせて、伝え続けました。おばあさんの作ってくれた曲を、ずっとずっと歌い続けました。
いつしか、窓の外がうっすらと明るくなってきました。そして、おばあさんは笑顔のままで静かに眠り、二度と目を開けることはありませんでした。二人はそれでも演奏し続けました。涙を流しながら、それでも演奏を楽しみながら、歌い続けました。おばあさんを想いながら、歌い続けました。おばあさんは、生きている時と変わらず、優しく微笑んでいました。数日が経ち、二人はまた隣町で演奏を始めました。最初はまばらだった人々も、あっという間に大勢の人が集まるようになりました。そしてある日、唄星のお母さんも観客の中に紛れていました。けれど、唄星もおじいさんも気付きません。数曲を終えたところで、唄星は観客に話し始めました。
「最後の曲は、大好きなおばあさんが作った曲です。何年か前、ボクはこのおじいさんと出逢い、歌う喜びを教えてもらいました。唄星という素敵な名前ももらいました。おばあさんは、もうこの世にはいません。ボクは、おばあさんを忘れないために、いつまでもこの唄を歌い続けます。そしてこの曲とともに、多くの人々に伝えていきたいと思います。ここにいるみんなやおばあさん、ボクのお母さん、今まで出逢った人たちにも、これから出逢う人たちにも……この空の下で生きるすべての人に、この大切な曲を届けたいんです。聴いてください」
おじいさんは、ギターを置いて竹笛を手にした時、そっと一粒だけ涙を零しました。二人の演奏は、今までになくどこまでも響き渡りました。歌い終わっても、拍手の音はいつまでもやみません。唄星のお母さんは、息子の光り輝く姿を見て、応援しようと心に決めました。一緒に住むことを諦め、何も言わず、お母さんは立ち去りました。
10年後、唄星は大きな野外ステージの上にいます。観客は、あの頃とは比べ物になりません。けれど唄星は、おじいさんとおばあさんと音楽を楽しんでいた気持ちを、一度も忘れたことはありませんでした。今日も唄星は語り掛けます。
「この曲は、昔、ボクに音楽を与えてくれたおじいさんとおばあさんの思い出の曲です。二人はもう、星になってしまったけれど、忘れたことはありません。今日もボクは、この曲を二人のために歌います。聴いてください『星の下で伝えたい唄』」
力強く歌う唄星の上には、今夜もたくさんの星が瞬いていました。
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