2006-06-11 Sun
授業が始まって2か月、もう半期の折り返しを迎えて、2年なんてあっという間なんだろうなと焦りと脅えに泣き出しちゃいそうな日々を過ごしている。前回書いた洗濯機の中状態は、次第に「覚えること」への反発に繋がって、最初の頃は本当にストレスフルな生活だった。理論や歴史を覚えることの大切さ、地盤となる強さを頭では分かっているのだけれど、覚えることの苦手な私は苦痛でしかない。それに、それは文献を見れば載っているのではと思うと、それよりみんなで考えていきたいという思いが強まってしま
う。その理論だって、きっと誰かが考えたことなのだろうけれど、それを覚えなければならないっていうのは、考えることより私には苦痛だった。それがしばらく経って、授業中の緊張もほぐれ、おしゃべりができる友人ができてきた頃、感じることが変わった。授業でも、文献に書いてあることが真実だと思う必要はないと話され、覚えることは考えることの否定ではないのかもしれないって思ったからかもしれない。それまで「質問を」と言われても、それは知識でしかなく私の考えが入り込む隙はないし、その答えは本に載ってるから今聞かなくてもいいやって思っていたのだけれど、今は書いてあること、聞いたことへの疑問探しができるようになった。そうして疑問を探す事で考えることが増えると、ほんの少し、ストレスは解消された。
自分の頭で考えることをやめちゃいけないんだ、と思う。実証されていない私の思考は、科学的ではない主観でしかないかもしれないけれど、デカルトもフロイトも考えることをしてきたはずだ。客観性であることと、考えることは、異なるようで繋がっていると私は思う。それと、考えることが主観というのも少し違って見えてきた。脳はしばしば嘘をつく。自分がそう考えていると思っていたことが、実は違ってたなんてことは起こりえることなんだ、きっと。だから、自分が考えたことでも、本当に自分がそう感じているかは簡単に信用できない。感じたことを考えにした時、そして考えたことを言葉にした時、少しずつズレていくものなのかもしれない。
私の指導教官は、感じることを大事にした授業をする。ウォーミングアップ的な軽いサイコドラマをして、今ここで感じたことを話し合う。その授業を受けながら、私は感じたことを言葉にすることが苦手なのだと痛感した。最初の方の授業で、「今ここで私は」何に気付いたか何を感じたかを話していくワークで、「今ここで私は、今とはいつのことなのか分からなくなりました」とか「今ここで私は、何を感じているか分からなくなりました」なんて言わざるを得ないほどだった。先生に「大丈夫?」と言われて、苦笑するしかなかった。何を期待されているか、何を言えば正解なのかを、考える癖がついているのかもしれないなぁと思う。先生と立ち話をする機会があり、「授業には慣れた?」といった話から、「先生の授業はいろいろ考えさせられます」って言ったら、「考えるんじゃなくて感じるのよ」なんて言われて、またまた苦笑&赤面。感じたことをそのまま素直に言葉にすることへの抵抗が、私にはまだまだありそうだ。
そんな学校生活に四苦八苦しながら、3週間ほど週末に前のバイトをお手伝いさせ
なので、更新は遅れていくかも。お許しを。
2006-06-06 Tue
一か月以上放置しちゃってることに今気付きました。見てくださっている方々、ごめんなさい。
何とか元気です。時間だけが足りないです。
いろいろとひと段落付きそうなので、近々近況報告します!
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