CATEGORIES
PROFILE
LINKS
NEW ENTRIES
COMMENTS
    <font color="blue">よっぱ</font>
  • jdnbgtohco >11.24
    じっと待つ
  • yrvixc >11.13
    <font color="blue">ユキロボット</font>
  • Togasa >11.08
TRACBACKS
    <font color="blue">スケジュール管理下手</font>
  • Celebrex 200 mg. >10.08
    <font color="blue">遮断</font>
  • Meridia. >10.08
CALENDAR
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30      
<<  2009 - 11  >>
ARCHIVES
LOGIN
現在モード: ゲストモード
USER ID:
PASS:
OTHERS
    処理時間 0.496782秒
Search Box
POWERED BY
POWERED BY
ぶろぐん
DESIGN BY
ゲットネット
格安Domain
ドメイン取るなら Value-Domain!
大家んち
大家んち


遅れて届いたメッセージ

 年に1度という緩慢な更新になりつつありますが、みなさまお元気でしょうか。
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
 なかなか更新できないのは、忙しい証拠でもあって(適当に文章は綴っているのですが)、相変わらず、充実した日々を送らせてもらっているのです。年度末が近付き、一区切り。でも、来年度も継続する職場がほとんどで、またパワーアップさせてもらえそうです。そんなこんなで、年度末の振り返りの日記です。

*****

 先日、週に1度通っている方の職場で、年度末の総括があった。約60ケースの振り返りを1日で行うのだけれど、1ケース5分でも5時間掛かる。この総括は、情報共有が主な目的となっているため、報告のみで意見交換はない。だから、言いたいこと、聞きたいことが、私の中に溜まっていく。だから毎年、お腹いっぱいどころか、消化不良で胸焼けを起こすような状態になる。でも、私にとってこの総括は、もちろん他のケースを把握することも重要だけれど、資料を作成するためにケースの1年間を振り返ってまとめるってことが、大事な作業になっていると改めて感じた。

 この日、大学院の実習機関でもあるこの職場のもう1つのイベントは、修士2年生の卒業祝い。飲み会の席で、総括の消化不良を解消しようかと思っていたのだけれど、当たり前と言えば当たり前で、やっと終わってやれやれしている時にそういう話にはならず、お腹いっぱい食べて身も心も重くなっていた。何と言っても、この会の主旨は卒業祝いだということを忘れちゃいけない。
 帰ったらまた、1人反省会で消化作業だなと思っていた終わりも間近な時、思いがけない物が手に落ちた。それは、1年越しの卒業祝いのメッセージカード。私も1年前、卒業祝いをしていただいた。その時、プレゼントをいただいたのだけれど、カードはなかった。卒業とは言っても相談員を続けることに変わりはなく、また顔を合わせることになるから、そんなものかなと思っていた。ところが、そのカードは1年間スタッフの手を渡り歩いていたようで、1年掛かって私の元に辿り着いた。感慨深くカードの入った封筒を眺めていると、先生から「じゃー、カードもらった人から」と冗談めかして挨拶を求められ、びっくり。卒業の挨拶という訳ではないのだろう。慌ててこの1年を振り返ったけれど、あまりにも多くのことが頭を過ぎって、「忙しくさせていただいて、勉強になった1年だった」という旨を話すに留まった。これまた、消化不良。

 帰り道の20分、チャリをこぎながらこの1年を振り返ることにした。1人きりの、私の総括。
 今年度は、4箇所の機関で臨床をさせてもらって、経験の幅がとても広がった。大きく影響しているのは、新しい場でもある週に4日の公的機関だけれど、それだけじゃなく、継続した週に1日のこの実習機関でも、長く続けることで経験できるものがあったと感じているし、同じく継続して月に1日通った民間の相談機関では、公的機関にも身を置いたからこそ見えたものがあって、更には週に1日の研究実践では、研究としての臨床を新たに経験できた。
 その1年を振り返った時、最初に浮かんだのが、限界と無限だった。院生の頃は、目の前のケースに対して、私にできることを考えるだけで手一杯だった。あの頃の私の実習ノートには、多くの専門書や論文に書かれているような、専門家ならば挙げるのにそう苦労しない選択肢を、ひとつひとつ、ああだこうだと考え悩みあぐねながら、ひねり出していた様子がよく見て取れる。今となっては笑ってしまうような内容も多いけれど、その時の私にとっては真剣で、実習の日の夜は枕元にまでノートを持ち込んで、なかなか眠れないことが常だった。それは今もあまり変わらず、次の日の仕事はいつも寝不足だし、内容だって後々見れば笑ってしまうようなものかもしれない。それでも、経験を蓄積したことで、<私にできること>の選択肢は多少なりとも増えたと思う。
 けれど今度は、その<できること>の全てを、実際にできる訳ではないことに気付かされた。それまで、頭では分かっているつもりだったけれど、実感には至らず、納得もできず、<できること>の全てをやることに固執して、生意気にも先輩方と意見が対立することが少なくなかった。今年度、次々と相談者がやって来る公的機関で、未熟な私は担当を任されることが少なかったにも関わらず、どうやったって<できること>の全てはできない状況に置かれた。その上、来所が必要だと思っている子どもが来られなくなるという事態も起き、子どもと出会えなければ、いくらノートに多くの<できること>を書き連ねても、成す術がないことにも気付かされた。そう、<できること>には限界がある。そのことを、納得せざるを得なかった。
 じゃあそれで終わりかというと、そうではなかった。限界があることをジタバタした上で受け入れた時、新たな発見があった。それは、<できること>はなくならないということ。これまで考えてきた<できること>には限界があった。それでも相談者にとって役立つことはないかと考えた時、私はその限界を超えたところで<できること>を探していた。これまでのフレームを再構築し、視点を変えれば、<できること>は無限にある。相談者の多い公的機関では、全ての相談者に<できること>を十分にはできないけれど、2割程度の支援であっても、できるだけ多くの家族が最悪の状況にはならないようにはできるかもしれない。子どもが来所できなくなったとしても、担任の先生に学校での様子を聞くこと、長期休みに遊びに来ないかと誘うこと、もっと言えば、待つことだって<できること>の1つだろう。そう、<できること>には限界がある、だから、<できること>は無限にある。そのことを、少しだけ実感した。
 今後は、さまざまな支援の形を探していきたい。そして、それらを経験していきたい。私の好みなのだろうけれど、本音を言えば、<できること>の全てを満足するまでやりたい。でも、それをするには相談者を減らさなければ無理だ。それを頭で分かっていても、これまた私の特徴かもしれないけれど、困っている家族に出会うと、どんな相談であっても<できること>をしたくなる。そうすると、限界が出てくる。だから、限界の中で<できること>を探して満足するまでやりたいと思った。1人の相談者に十分に対応することも、不十分であっても多くの相談者に対応することも、どちらが良い悪いではなく、限られた場で、限られた時間で、能力の限られた私が<できること>を、丁寧にしていこうとすることが、今の私にはとっても大事だと思っている。
 冷たい風を受けながら、遠回りして40分以上掛け、私の総括終了!

 家に着いて、メッセージカードを見た。こういうのって、人からどう見られているのかを感じられるから、おもしろい。しかも、いいところが書いてあるから嬉しいし。「パワフルに」「パワーあふれる」「トライする」「まっすぐ」「真剣な」「教えてもらい」「相談にのってもらい」「学ばせてもらい」「助けられて」そんな言葉が並んでいた。1年掛けて回っていただけあって、1年前に書いたと思われるものも、つい最近書いたと思われるものもある。そんなに頑張れてはいないんだけどな。家に着いたら払い忘れていた電話料金の督促状が届いてたし、部屋には整理できてない資料やら学会誌やらが山積みだし。生活困難な私に誰か支援してくんないかな。まぁ、私だって生活の全てを完璧にはできないから、限界の中でやれることやっていきましょ。


| ユキ | 22:49 | comments (2) | trackback (x) | giornale(日記) |
働いているあなたと話してみたい
 随分と放っておいてしまったけれど、4月1日からあたし、働いてます。
 週に4日は埼玉県某市のとある機関で、週に1日はこれまで実習してきた大学院の機関で、両方とも非常勤だけど心理相談員として働かせてもらえてる。働き始めてすぐに、実践的な仕事も次々と与えていただけて、今では毎日のようにケースや会議が入っている。加えて週に1日は、すばらしい研究者の方々が中心となっている研究の実践に参加させていただけていて、月に一度は引き続き民間のカウンセリング機関で実習もさせていただいて、本当に充実した日々。大学で学んだ教育学、特殊教育、虐待、大学院で学んだ臨床心理学、虐待、それらが生かされる職場で、いま存在している仕事の中では、とてもあたしの望む仕事に近いところにいさせてもらえてると感じる。もちろん、まだ新米で、できることは本当に少ないけれど、そういう現場にいられることにありがたさを感じながら、日々学び続けている。
 働き始めて2ヶ月が経とうとしている。一息ついてふと思ったことがあった。あたしは、大学を卒業して1年、ふらふら履修生として勉強しながらモラトリアムをしていた。祖母が倒れて働かなきゃいけなくなった時、それでも働くことに拒否的だったあたしに、その頃の指導教官が言ったんだ、「もう学生と教員じゃなく、働いているあなたと話してみたいの」って。それが、あたしの中の働くモチベーションになった。一度は働いたけれど、それでもどうしても関心の中心である虐待に携わる仕事をしてみたかった。そういう仕事をした上で、もう一度、先生と話してみたかった。今でも、あの先生の言葉は、あたしの働くモチベーションになり続けている。

 仕事をすることに何の利得があるのか、お金以外に何が得られるのか、その疑問に答えてくれたのが、多分その言葉だった。働いたことで、その言葉をもう少し理解できるようになった。働いてみると、当たり前だけど、学生だった頃とは感じることも考えることも微妙に違ってくる。あたしはずっと、働いているというだけで偉そうにしている大人が嫌いだった。働くことで認められる世界、働かないと認められない世界が、その職種、給与、立場で比べられ、競争する世界が大嫌いだった。学生の頃も、高校までの成績で比べられる世界は嫌いだった。大学に入って、ようやく学びというものを知ったのに、また競争の世界に入ってしまうことに、とてもとても大きな嫌悪感を抱いていた。でも、いつからか、偉そうにならなくてもいい、競争しなくてもいい、あたしが望むスタイルで働くこともできると感じられるようになった。あたしが揺らがなければ、あたしがあたしを自覚していれば、あたしはあたしのままで働くこともできるのだと、実感を持って知ることができた。それには、あたし自身が満足するまで学びを追及できたことにあるのかなと思う、そういう意味では、修論は本当にあたしを成長させてくれた。
 もうひとつ、あたしに働くことを拒否させていたことがある。親の期待だった。あたしの自立が完成されてしまうことへの親の寂しさや不満、劣等感を感じ取って、あたしは未熟であり続けなければとどこかで思っていた。かといって、劣等生でいることも許されない、だから、完成間近で頑張り続ける立場、大学生や大学院生に固執した。親から援助を受け続ける状況にい続けた。でも、とうとう親も退職した。親は、自分の欲よりも実際的な経済的不安が募ってきたのだろう。他にも、望む仕事を紹介していただけたことなど、幸運もあった。ようやく、働くということを本当の意味で突破できたと感じている。それでも親は、しがみついてくる。それに巻き込まれずに、眺めていられるようになったことが、あたしにとっては非常に大きい。そうなれるまでに、30歳になってしまっていたけれど。

 働くことを肯定的に見られるようになったからか、30歳という年齢からか、あたしは働き始めた時に、驚くほどに自然体でいられていることに気付いた。分からないことは分からないって言う、やりたいことはやりたいって言う、怒られた時は次から気を付ければいいって思う。背伸びをし過ぎることも、傷付き過ぎることも、認められようとし過ぎることも、随分と減った。毎日忙しいから、無理はできないっていうのもあるけど、熱意を持ちながらも、ある程度の距離を置かないと仕事を適切に続けられない。慌てず焦らず、少しずつ、自分に合ったペースで力を付けていきたい。まだ始まったばっかりだ。これからが勝負だと思う。頑張ろう。


| ユキ | 00:12 | comments (4) | trackback (x) | giornale(日記) |
感謝の気持ちと多くの課題

修士論文を無事に提出した。
多くの方々のご協力・ご支援があったからこその完成。
本当に感謝の気持ちでいっぱいでいる。
でも一方で、私の至らなさに悔しさと申し訳なさもある。
今後の課題がいっぱい見えた論文でもあった。

学術的な論文としての質、そして私がこの論文で伝えたいことの意味、その両者の兼ね合いが本当に苦しかった。
その中で私にできたのは、学術的には稚拙な論文であっても、調査協力者から伝えられること、私が伝えたかったことを丁寧に伝えようと努力することだった。
今回は、学術的に評価され得るものに仕上げることより、協力者の思いやサバイバーへの私の思いを重視したことになる。
もちろん、学術的に伝えたいことを表現することも可能だろうけれど、私にはできなかった。
だから、論文としてはひどく未熟だし、学術的とは言えないかもしれない。
それでも、この研究を通して伝えたかったことは、不十分ではあるけれど表現できたと思う。
その未熟さも含めて、この段階で私にできることの精一杯だったのだろうと納得した。

書いている間、一人一人の調査協力者の顔をずーっと浮かべていた。
彼女たちに教えてもらった多くの学びを、彼女たちのサバイヴが理解されるために、どう表現できるのか。
彼女と同じような方々がより楽にサバイヴするために、今の私に何ができるのか、今の社会に何が必要なのか。
そのことを忘れたことはなかった。
もっと私に力があれば、彼女たちの語りが生かされるだろうという悔しさやもどかしさも、常に抱えながら進んだ。
でも、苦しくもあったのだけれど、インタビューから執筆まで本当に楽しかった。
楽しかったという表現はちょっと違うかもしれない。この研究ができることに喜びを感じていたという方が近いかな。
そしてそう思えたのも、調査協力者の方々と共に歩めたからだと心から思う。
本当に、彼女たちのパワーでこの論文は仕上がった。
私の力は及ばなかったけれど、彼女たちの力がこの論文の底上げをしてくれた。
これからも大事にしていきたい貴重な出会いと体験を与えてもらえた。
ありがたいことだなぁ。

提出後に残ったのは、多くの人への感謝の気持ちで、自身の力不足への悔しさで、終わってしまうことの寂しさで、続けていきたいという不安と希望で、喜びには届かなかった。
でも、この研究を生かすためにも、次の段階に進まなければと自身に言い聞かせてる。
そう思えるのもまた、多くの方々のおかげだ。
感謝の気持ちは、その方々にとってより良い社会になるよう努力することで還元したいから。
今の私じゃ全然無理。生きている間に、返せるといいな。


| ユキ | 22:55 | comments (2) | trackback (x) | giornale(日記) |
逃避行

【パパの沈黙、ママのヒステリー。……認められるために、誉められるために、俺は俺じゃない誰になればいいか、ずっと考えてきた。……愛すること、愛されること、愛されぬこと。……】

新幹線の座席に座り、びびりの私は後ろのおっさんが怖くて椅子を倒すこともできず、身体をずり下ろして、斜めにもたれていた。
いきなり、耳の中に入ってきた、知らない男の話し声にドキリとした。
数秒後、ポータブルプレイヤーから流れてきたものだと気付いた時にも、早まった脈は収まりを見せず、何に焦っているのか小さい機械をいじって、本当にこれから流れているのかと曲名を見た。
最近買い、まだ全部聴いていないアルバムの中に入っていた曲と知り、ようやく安心したところで、もう一度最初から聴きなおした。

窓の外には、マンションがいくつも重なっては流れていく。
ここの全てに人がいるって考えたら気持ち悪くなったと言ってたのは、誰だっけ。誰なのかは忘れてるのに、マンション群を見るたびに、その言葉を思い出す。夜だと更に。
礼儀正しく並んだ窓から、何人かの人が見えた。
パソコンに向かって身を乗り出している青年、部屋から出て行く中年男性の背中、テレビを見ながら笑っている若いカップル、テレビがいくつも並んでるみたいで現実味はなかった。でも、やっぱり気持ち悪くなる気持ちは分かる気がする。
手にしていた文庫本に目を落とす。
先日、出先でずっと映画が観たいと思っていた『空中庭園』の原作を、衝動的に買って読んでいた。
この時期に、なんでこの本を手にしてしまったのか、気が重くなりながらも、それでも目を背けることはしなかった。

もうすぐ、新幹線の留まる駅に着く。
29時間とちょっと前、私はこの駅で、逃亡することを決めた。

インタビューのため、都心から2時間ばかり離れた駅に向かう途中だった。
どうして少し離れただけなのに、時刻表の「上野」という文字は、上京をイメージさせるんだろう。
そう思った時、自分の行き詰った感情に気付き、逃がしてやらなきゃと感じた。
右肩には、ずっしりとバッグが食い込んでいた。その中には、数人の方の人生が込められた、録音機が入っていた。その方たちにも、付き合ってもらおう。一緒に逃げてみよう。少しでいいから、都心から離れよう。そうも思った。
逃げようと思えば、逃げられるんだってことを、休息を与えられるってことを、自分に分からせたかった。何とかなるものだよ、大丈夫だよって。
逃げようと思ったことは何度もあるけど、本当に逃げたのは、多分これが2度目。

私は、逃げるのが嫌いだ。
逃げたって何にもならないと自分に言い聞かせ、その場で何とかしようともがいて、ガチンコでぶつかっていって、状況を悪化させることも度々ある。
ぶつかっていって、苦しいのに止められなくて、どんどん必死になって、余裕を無くして、最終的に自分が壊れて、関係を失ってしまうことも、あった。
だから、自分を守るためにも、大切な関係を守るためにも、逃げるということも、棚上げすることも、覚えなきゃと最近は思う。
今回も、逃げた先は姉の家。
ふらっと、どこかに行くのもいいかと思ったけれど、話を聞いてくれる姉と私を愛してくれる甥たちがいるってことが、私をそこに向かわせたんだと思う。
私が来ることを分かっていたかのように、甥たちは2人立て続けにダウンして保育園は休むことになり、一日一緒に過ごすことができた。
しかも夕方には元気になっていき、元気な姿を見てから帰ることもできた。
駅の階段を上る私の背中に、一番上の子は「またねー!」と何度も車の中から叫んでいた。

二階建ての新幹線、階段の途中まで降りて、小さい窓から外を見る。
ゴールテープみたいに、グレーのホームが滑り込んできた。
私はここから逃げ、ここに帰って来た。
あのホームに一歩踏み出したら、また始めよう。
逃げた始末も含めて、いろいろなアレコレと向き合う覚悟をしよう。
【生きるってのは常に自分の手で 選択をし続ける事……はさむなら口でも何でもご自由に……そんなものに 揺らいだりはしない】
また別の曲が耳の中で、語りかけてくる。
私は生きていく。選択し、その結果を引き受ける。そうして、生きていくと決めたんだ。
揺らいだりは……するけどね。
ギリっと歯が鳴った。力を弛めると、顎がふるふるとして視界がぼやけ、慌ててもう一度ギリっと鳴らす。
小学校の朝会で、校長が「あくびは噛み殺せ、殺していいのはあくびだけだ」なんて、うまいこと思いついたって得意げな顔で言ってたっけ。涙も噛み殺していいのかな。
もう少しであの扉が開く。ちょっとだけ背を丸めて、私はあのホームに足を下ろそう。


| ユキ | 22:33 | comments (2) | trackback (x) | giornale(日記) |
異文化交流
気付いたら、半年くらい放置してしまった。
mixiを始めて、ちょっとした日記はそっちで書いていたり。
コメントやTBで荒れたことで、やる気が殺がれちゃったり。
でも、ここも大事にしていきたいから、時々はちゃんと表現しよう。


 二日間の研修会に参加した。他分野の大学生・大学院生が集まって、虐待について考えようという研修。虐待という共通テーマがあっても、分野が違えば捉え方も思考回路も使う言葉も言葉の意味合いも違う。すんなり伝わらないことばかりが溜まっていき、やきもきし、イライラした。話し合いたいことの、半分も話せなかった気がしてる。そこで知ったのは、自分があまりに自分の常識に生きているということ。自分の尺度で他者に接していたこと。帰って来てから、自分が本当に嫌になった。

 1日目、小児科医の先生が身体的な虐待を受けた子どもたちの画像を見せてくださった。顔や全身のアザ、火傷の跡、内出血で膨らみあがった頭やお尻、性的虐待によって子どものお腹の中にできた胎児。そういう世界を、本では知っていた。医療の現場で、虐待をどう見抜くかの知識も広まっている。けれど、実際に何枚もの画像を見ると、やはり衝撃を受けずにはいられなかった。境界のはっきりした傷は、被害者側が避けようとしなかったことを意味するとおっしゃっていた。人は攻撃を受けそうになると、反射的に身をよじる。それすらしなくなるのが、できなくなるのが、虐待なのだという現実に改めて向き合わされた。もちろん、そういった衝撃的な暴力だけが虐待じゃない。目に見えない影響を与えているアビューズは、もっと身近でもっと日常的にあるのだと思う。そして、そうした身体的虐待を受けた子どもを苦しめるのは、傷の痛みが消えても尚残る、長期的な影響だろう。
 そうした講演を聴いた後、グループに分かれて自己紹介を兼ねた話し合いが行われた。医学・法・福祉・心理・教育など、さまざまな分野の学生さんが集まった。それぞれの分野についての話が出ていたが、私はもっと虐待について話し合いたいという思いに焦りのような思いが募っていた。もっと深く、もっと真剣に、もっともっと……。考えてみれば、初めて会った人が集まり、信頼感のない中で、そうすぐに話し合いが白熱するのは難しいだろう。だけど私は、一人焦っていて、だから言葉も分かりにくく、伝わりにくくなっていただろうと思う。
 その後、懇親会に参加して、岩波新書から『児童虐待』というとてもおもしろい本を出版なさった川崎先生とお話をする機会があった(この本を出版された方だと気付いたのは後になってだけれど)。グループ討論でも、コーディネーターをしてくださった先生だった。その中で、「今日見た画像のような衝撃的なケースに直面すると、親を責めるわけにはいかないから、他分野を批判したくなってしまう。だから連携は難しい。自分の気持ちを意識しなければいけないし、自己開示できることが大事だ」というお話をしてくださった。その言葉をじわじわと考えるにつれ、私のグループ討論の中で感じた焦りやイライラは、衝撃的な虐待を目の前にして沸いた感情からきたのかもしれないと気付いた。そのメンバーさんに対する感情ではなく、虐待への怒りや悲しみや悔しさや傷付きやそうしたいろいろな感情がメンバーさんに向いていただけなのかもしれないと。
 そう気付いたのは、主催者が用意してくださったホテルの12階。大きな窓の外には、夜景がキラキラとしていた。この景色を綺麗だと思える私は、安心してここに存在していられるからなのだろう。その日見た画像に映っていた子どもたちが、いつかこういう景色を見て綺麗だと感じられる日が来るだろうか。私はこんな景色を12階から見ていていいのだろうか。泣きたくなった。悔しくて、悲しくて、もどかしくて、はがゆくて。こぼれそうな涙を噛み切った。あの子どもたちが、心から笑う日が来ると私は信じる。彼らと私は繋がっているから。虐待を受けていてもいなくても、人は人として繋がっていると感じているから。人を傷付けるのも人だけれど、人を支えるのもやっぱり人だ。そして私も、彼らに支えられて生きている。

 2日目、同じグループで事例検討と虐待予防への対策について話し合った。
 事例検討になると、異文化交流は少し通じやすくなる。それぞれの立場で、何ができるか、どう動くか、被害を受けている子どもにとって、加害をしている大人にとって、何が必要かをより具体的に語り合う時、話す言葉は専門的ではなく日常的になっていくからだろう。この専門でできること、あの専門に任せること、それらを詰めていく。もちろん、その動きの背景にある考え方が違うから、ぶつかることもあるけれど、そこを繋いでいく作業は興味深い。そうして違いを知ることは、どう繋れるかを考えられることでもある。私は、教育学を学んで、それだけじゃ足りないと感じて臨床心理学を学び始めた。最近では、脳科学・神経学も必要じゃないかと感じてる。でも、一人他分野は、どうしても限界がある。私の人生にも限界がある。他分野と連携する力を鍛えていくことが、自分の専門で力を発揮することにも繋がるのだろうと思った。
 予防についての話し合いは、慣れてきたのもあって、時間が足りなくなるほど意見が出た。現実的には、難しいだろうなぁと思うことも。もっと現実的には、それをする金はどうしようねぇと思うことも。でも、可能性をたくさん考えておくこと、選択肢を増やすことは大事だと思うから。学生だから考えられることだとも思うから。普段、ケースに向き合っている時には、現実的なことばかり考えてしまうから、そういうアイディアに出合うのはおもしろかった。でも一方で、もっと基本的なことも大事にしたいなと思う。虐待を防ぐのに、魔法みたいなやり方なんてないんじゃないかと私は思ってる。だから例えば、読み書き計算という基本的な学力をつけることだって、虐待を受けている子どものサバイヴする力となることもある。そういう、それぞれの専門分野での基本的なことを大事に丁寧に取り組んでいくことも、大事なのかなと改めて思った。

 そんなこんなの異文化交流の2日間。なんだかどっと疲れて、達成感はこの疲れを超えて参加し終えたことでかと思うほど。いやいや、いろいろと考えるいい機会になったし、得たものも多かったと思う。まだまだ頭ン中ごっちゃごちゃだから、これから少しずつ整理していきたいと思う。頑張ろうっと。


| ユキ | 21:49 | comments (2) | trackback (x) | giornale(日記) |
秘密の風穴
以前働いてた時、あたしは編集長と「仕事」の話が通じないと感じてた。
だから、話が通じると思う人に相談するようになって、そうしているうちにまるで自分が正しいかのように勘違いし始めて、いつの間にか「この雑誌はあたしが作ってるんだ」なぁんて妄想まで抱くようになった。
なんて傲慢なんだ。
それで結局、職場の人間関係が悪くなって、雑誌を良くするどころか、雑誌作成に携わることさえできなくなった。
いい雑誌を作りたかったら、最低作成に携わらなきゃできない。そして、その最低をクリアするためには、最低職場の人間関係ができなきゃいけなかったんだ。
そんな、最低の最低すらできなかったあたし。
そのことに気付いたのは、仕事を辞めて数年経った頃だった。
雑誌を買うお金を払う人に、誠意を持ってその価値に応えなきゃいけないんだって、あたしはワーワー伝えてた。言うだけじゃなく、あたしなりに努力もしていたつもりだった。
だけど何十年もその仕事をしていた彼女には、きっとあたしには見えていなかったものが見えていたのだろう。
今は、そんな風に思う。

そう思っているはずのあたしは、また同じことを繰り返そうとしてるのかもしれないと足踏みしてる。
同じ立場であるはずの同級生に対し、「仕事」の話が通じないと感じてる。
どう通じないかっていうと、「あの色綺麗だね」って言ったら「うん、にがいよね」って返ってくる感じ、掛け算習ってる時に漢字の読み方を聞かれる感じ。
一緒に仕事をしなきゃいけない相手だから、伝えたいと思う。
思うけど、話せば話すほどすれ違ってばかりで、そのうち話を聞いてさえもらえなくなる。あたしも疲れてしまう。
よく話をする同級生には伝わることが、伝わらないように感じる。
どうしたら彼ら彼女らの理解に沿って伝えられるのだろう、どこまで言葉を使えば伝わるのだろうと考えるけれど、そこに心労していると、学べるはずのものがおざなりになっていく。
半年過ごした今、自分の能力の限界を感じて相談しようと考えた。
でも、そのことがいいことなのかどうか、また仕事をしてた時のことを繰り返さないか、そういう躊躇を抱えてもいた。

毎週毎週、もれなくミスが続いた。
あたし以外の全員が、割と大きなミスを連発していた。そのことで、全員が注意を受けた。
たまたまあたしはミスに繋がっていないだけ、そう言い聞かせながらも、なぜ同じことを繰り返すのかという苛立ちも本当はあった。
常に全員のフォローをすることに疲れ、困らないと学べないのだろうと、ミスが起きること覚悟で放置したのはあたしだった。
なぜこの時期になってミスが増え始めたのか、スタッフは分からないと言う。あたしは、それがなぜかは分かっていたけれど、それを隠し持ったまま、どうすればいいのかは分からなかった。
秘密を抱え、追い詰められて、困ったのはあたしだった。
ミスをした同級生は「まぁ、いっか」と笑う。「声掛けして」と頼る。スタッフは「同級生で話し合うように」と言う。
あたしがミスを起こしてなくても、同罪だった。そして、仕事に対して迷惑を掛け続けるのは、もっと大きな罪だった。
あたしは秘密を打ち明けることにした。まずは話が通じると思っている相手に。働いていた時の経験があったから、多くは語らなかった。話すことを躊躇っていることも伝えた。
秘密は、一度風穴を開けると、どんなに小さな穴であっても、秘密ではなくなるんだ、多分。

今までずっと言えなかったことを、いつの間にか当人たちに話してた。
やっぱり通じない。
見当違いの答えが返ってきたりする。
それでも、通じると思っている相手にだけ話すよりも、当事者に伝える方がずっとストレートだと思った。
言い過ぎたかもと反省して謝罪したら、感謝の言葉をもらえた。話し合う時間を作りたいというあたしの提案に、乗ってくれた。
自分だけが見えていると思って、見えていることを見せないまま、話しても通じないと感じて、話すことを諦めさせていたのは、あたしの傲慢さだった。
優等生もどきからの指示がなくなって、ミスが起きて、課題が浮き彫りになって、反省して、それからじゃないと伝わらないってことなのかもしれない。
結局、やっぱりあたしが彼ら彼女らの学びを奪っていたのかもしれない。
秘密の部屋に風穴を開けて良かった。
後は、精一杯伝えようと言葉を使うことだけ。それを受け取るのは、あたしにはコントロールできない他者。


| ユキ | 23:22 | comments (12) | trackback (x) | giornale(日記) |
アレ荒れ掲示板
随分とコメントがあると思いきや、荒らされてますね(;´д`)
まぁ、随分前から気付いてはいたんですけどね……。
コメント書いてもらえなくなるのは寂しいから残していたのですが、しばらくコメントもできないように設定しちゃおうと思います。
うーん、困ったもんだ。
何かコメントしたい時にはメールでお願いします。


| ユキ | 03:33 | comments (x) | trackback (x) | その他::おしらせ |